総合職
松山統括事業所 所長/2018年 新卒入社
自分一人から、
およそ100人のチームに。
地元で任された、
営業所の立ち上げ。

Question 1
ヒューマンアイズで、
はたらくことを選んだ理由は?
大学を卒業して2年間、青年海外協力隊としてアフリカに渡り、現地の子どもたちに環境について教えていました。自分一人が変えられることは小さいかもしれないけど、私との関わりを通じて日本という国を知り、好きになってくれる人もいて、人と人との橋渡しができる仕事に魅力を感じるようになりました。
日本に帰り、人と人とをつなぐ人材派遣業に絞って就職活動をしていたところ、地元四国に本社を置くヒューマンアイズを知りました。いざ面接を受けると、楽しく喋っているうちに終わってしまって、そんな気さくな空気感も入社の決め手でした。
Question 2
入社1年目は、どんな風に
仕事を覚えていきましたか?
入社後すぐ大阪の事業所に配属になり、新規開拓の営業を任されました。大手メーカーの人事部長や製造部長とお会いすることもあり、はじめは緊張しましたが、こまめな連絡や元気な挨拶、事前準備を大事にして、一歩ずつ関係を築いていきました。
ある日、「今うちは求人がないけど、この会社に行ってみたら?」と紹介をいただき、10数名の求人を受注することに。後日、そのお客さまに「どうして紹介してくれたんですか?」と尋ねると、「梶田さんなら大丈夫だと思って」と笑顔で答えてくださり、営業の面白さを感じた最初の成功体験になりました。
この頃、社内の営業部長にも親身に支えてもらい、楽しみながら営業としての一歩を踏み出せました。

Question 3
仕事のなかで、
やりがいやよろこびを感じる場面は?
松山で新しい事業所の立ち上げを任された時は、すごくうれしかったですね。
大阪で1年半ほど経った頃、父が病気になり、「仕事を辞めて愛媛に帰ろうか悩んでいる」と上司に相談しました。すると、まだ事業所のなかった愛媛でも仕事が続けられるよう、会社が柔軟に動いてくれたんです。
自宅を拠点にした新規開拓は、最初はうまくいかず、飲み会で社長に苦戦していることを話すと、翌朝には「松山に事業所をつくろう」と言ってもらえました。
拠点ができてからは仲間も増え、取引先にも恵まれて、今では派遣先に90名ほどの社員がいます。地元志向の私にとって、夢が叶った出来事でした。

Question 4
自分の成長や変化を感じられるのは、
どんな時ですか?
松山に事業所を立ち上げる前は、面接をするオフィスもなく、採用しても人がすぐに辞めてしまう時期がありました。「何のために働いてるんだろう」と気持ちが沈む日もありました。
そんな時、相談に乗ってくださったお客さまから「本当は何がしたいの」と尋ねられたんです。もともと地域おこしに興味があることを伝えると、「人が集まりにくい地域に仕事を生み出すのも、見方を変えれば地域貢献じゃない?」と。その言葉に背中を押され、「やってみよう」と思えました。適材適所に人を派遣できるよう工夫を重ね、次第に人が定着するようになっていきました。


Question 5
「ひとと笑顔がタカラモノ」という
理念を実感するのは、どんな場面ですか?
人と人との関わりで成り立つ仕事だからこそ、何かしてもらった時には、お互いに「ありがとう」と声を掛け合う。そうしたところから日常的に、一つひとつ笑顔が生まれていると感じます。
私にとって特に印象深いのは、これまで本人はモノづくりの仕事に就きたいのに、身体が不自由なことを理由に断られ続けてきた方を採用した時のこと。お客さまにも十分に説明をして理解と協力を得られ、配属先を決めることができました。すると、泣きながら「本当にありがとうございます」と言ってくれて、その仲間は4年経った今も、同じ派遣先の工場で活躍し続けています。
Question 6
ヒューマンアイズへの
入社を検討されている方に、
一言メッセージをお願いします。
私が松山統括事業所の所長になったのは28歳の時でした。年齢や性別に関係なく、一人ひとりのがんばりや成果を見てくれて、なんでも挑戦させてくれるので、チャレンジしたい方にはすごくおすすめの会社です。
私自身も、次へのステップアップとして女性初の部長職を目指しながら、後任育成にも力を入れていきたいと考えています。女性の管理職が増えるのは私もうれしいですし、「この人ができたなら、自分にもできるかも」と思ってもらえるような道を切り拓いていきたいと考えています。
